21

 
壮絶な魔力を身に纏い、妖艶に微笑んだカケルの瞳は血のように赤く…深紅に染まっていた。

「あァ…迎えに来てくれたノ?」

その瞳から理性の光は失われていたが、ライヴィズが何者か本能が感じとっているのだろう、持ち上げられたカケルの指先がライヴィズの頬に触れてくる。その指先を受け入れながら、ライヴィズは痛ましげに鋭い眼光を細めた。

「あぁ、迎えに来た。カケル、お前を」

ボロボロになった服に、乱れた銀髪。指先にはライヴィズが渡した守護と魔力制御を兼ねた指輪が無かった。それどころか器に収まらず溢れた魔力が現在もカケルの傷口を広げる様にその身を取り巻いていた。

「はは…っ、いいざまだ!お前の妃はもう助からない!サーシェを口にして、後は殺すしかない!ーー奪われる気分はどうだ魔王!!」

岩壁に叩き付けられてなお、それでも立ち上がったハナヤは口許を汚した黒い液体を乱暴に拭いながら、自分の周囲を黒い靄で覆って凍てついた蒼銀の瞳をライヴィズに向けて嗤う。

「貴様っ…よくも!」

ライヴィズと共に来たリョウレイがその言葉に激昂し、深紅の槍の穂先をハナヤに向けてライヴィズとカケルの二人を守るように前に出た。その隣に並び立ったニアスも橙色の魔力を纏わせた対刀を構え、シュイは足元に咲き誇るサーシェの花を一掃する様に地面に風の刃を走らせサーシェの花を刈り取ると纏めて洞窟内の片隅に凍らせて置く。

「ライヴィズ様は妃殿下を」

「ここは俺達にお任せ下さい」

三人はハナヤを睨み据え、ライヴィズへと声を投げた。
その声に、一瞬、苛烈な眼差しをハナヤへと投げたライヴィズだったが直ぐに目の前のカケルに視線を戻すと、やや遅れて事態を理解したのか感じ取っただけなのか、理性無き深紅の瞳が緩慢な動作でハナヤへと向けられた。

「よせ、カケル!もうその力を使うな!」

次の瞬間にはゾッとするほど冷ややかで鋭い魔力が空気を震わせ、ライヴィズの制止も虚しく無造作に持ち上げられたカケルの右手がハナヤに向けて振るわれていた。
瞬時に編み上げられ凝縮された赤い風の刃が無数……リョウレイとニアスの間をすり抜け、地面を抉りながらハナヤ目掛けて走っていた。

「ぐっ、…ッ、はは…っ」

赤い刃はハナヤの張った黒い靄をいとも容易く切り裂き、その身をズタズタに切り裂いていく。しかし、ハナヤは不気味な笑い声を漏らすと、右手を持ち上げて何事かを呟いた。
途端にぼたぼたとハナヤの身から飛び散っていた黒い体液が、まるでそれ自体に意志があるかの如く、持ち上げられた右の掌に集まっていった。

「カケルっ!」

「がはっ…ッ…ぐぅ…ァあ……」

よほど強い力を使ったのか、カケルの口から赤い血が滴り落ちる。それでも次の攻撃に移ろうとしたカケルに、ライヴィズはそのボロボロの身体を強く抱き締めて制止する様に言った。

「やめろ!これ以上はもうお前の器が持たない!」

それだけサーシェの花というのは毒となる。初めから決められていた自分の持つ魔力量、その許容範囲を越えて魔力が増幅していくのだ。器の大きさは変わらないのに、中身だけが増えていく。そんなもの、決壊するに決まっているだろう。

ハナヤの攻撃をリョウレイ、ニアス、シュイの三人が息の合った連繋で相殺し、ニアスがその身を滑り込ませるようにしてハナヤへと接近する。炎の様にゆらりと揺れた橙色の鋭い刃がハナヤの胴と首、その命を刈る為に振るわれた。
しかし、その対刀は下から飛び出してきた漆黒の槍によって弾かれる。漂う靄の中から再び形を取った漆黒の槍を手にハナヤは吐き捨てる様に叫ぶ。

「雑魚が。邪魔をするな!」

「くっ…!」

対刀を槍に弾かれ、腹部へと迫った強烈な蹴りをニアスは寸でのところで後ろへと飛んでかわす。替わりに、シュイによって編み上げられた無数の銀の刃がハナヤへと降り注いだ。
激しい攻防を繰り広げる彼らを視界の端に入れながら、ライヴィズは抱き締めたカケルの状態にその双眸を険しくさせる。

「カケル…。遅くなってすまない」

「ぅ、っ…あァ……」

無意識にかライヴィズの方へと身を寄せてくるカケルは何かを訴えているかのように、口を開いては言葉にならぬ声をこぼす。強い力を使いすぎた反動か、それともサーシェの影響か。深紅の瞳を虚ろにさ迷わせたカケルにライヴィズは一つの決断を下す。
カケルの耳元に唇を寄せて、掠れるような声で告げた。

「痛みは全て俺様が引き受ける。だから――許せ、カケル」

カケルの右胸に赤々と咲いていた薔薇にライヴィズの右手が添えられる。そして、次の瞬間、ばちりとカケルの肌の上を走った紫電の魔力がその薔薇を掻き消すように集まり、ライヴィズの右手がカケルの右胸へと突き立てられた。

「ぐ…ッ、…は…っ…、カケル」

びくりと大きく跳ねた身体を抑え、ライヴィズは言葉を紡ぐ。

「カケル。…俺様が誰か分かるか?」

ずぶりと何かが胸の奥深くに沈んだ感覚がある。
緩慢な動作で見上げたライヴィズの口端からは赤い液体が滴り落ちていた。

「…ッ、…う…っ…あ、ぁ…ライ…なん…で」

間近で見開かれた赤い瞳が徐々に色素を失っていく。赤から紫へと、元の色合いを取り戻していった瞳が驚愕と戸惑いの色を写して揺れる。

「大丈夫だ、カケル。お前が心配するような事は何もない。お前はしばし眠っていろ」

すぅっと血の気が引くように何かがカケルの中から抜けていく。胸の中にある何か。それに奪われる。
口を開いて言葉を紡ぎたいのに、ライヴィズと会話を交わしたいのに、何故かカケルの口はそれ以上動かずに、意識もだんだんと遠ざかっていく。

「これは悪い夢だ」

ライヴィズの囁く様な声だけがカケルの鼓膜を震わせ、瞼が落ちていく。

「…よくがんばったな」

ふわりと最後に感じた唇の温度は燃えるように熱くて、血の味がした。

「っ、ははっ!こりゃぁいい!貴様の目の前でもう少し嬲ってから殺してやろうと思ったが」

ハナヤはリョウレイによる魔槍の連続突きをかいくぐりながら、口端を歪めて哄笑する。

「自らの手で妃を殺したか!」

自分の命惜しさに。そうやって、自分との繋がりを断ち切り、自分だけが助かるという寸法か。実に貴様らしい。

「さすが、無慈悲な魔王だ!」

「なっ、まさか!ライヴィズ様はその様な事をなさるお方ではない!」

ハナヤの言葉に一瞬、リョウレイの穂先がぶれる。

「奴の言葉に耳をかすな、リョウレイ!」

我らはライヴィズ様を信じるのみ。
ニアスがリョウレイを叱咤するように声を上げ、そのままハナヤに向かって対刀で斬りかかる。

「その通りだ」

シュイがニアスに同意を示し、ニアスを援護するように鋭い銀の刃をハナヤに向けて放つ。
何の為にライヴィズ様御自らがここまで駆け付けたのか。それでは意味が無い。それに魔王の妃となった者が死ねばライヴィズ様自らも同等の痛みを負うと言われている。魔王の婚姻に関して、その詳細を詳しく知る者は少ないが、ハナヤ同様魔王とその妃の間に深い繋がりが出来る事はこの世界に住むものなら誰だって知っていることだ。その魔王と妃の深い愛情に、繋がりに、憧れる者も多い。

ライヴィズはぐったりとして意識を失ったカケルの身体を腕の中に抱き、カケルの右胸に右手を沈めたまま、うるさく騒ぐハナヤの言葉にも反応を見せずに、ただそこに立っている。
口端から零れ落ち続ける赤い液体がカケルの唇を汚し、徐々にカケルの身体からは熱が失われていく。だが、そこにはもう苦痛の色もなく、その顔は穏やかに解けていた。

「カケル…」

もう少しだけ待っていろ。

そう小さく囁いたライヴィズは直接、カケルの心臓に触れていた右手で、その心臓に不可思議で緻密な紋様を描く。とくとくと弱弱しい鼓動を刻んでいた心臓は温かな光に包まれて、その活動をゆっくりと停止した。

ずるりとカケルの右胸からライヴィズの右手が引き抜かれる。
同時に酷く優しく温かな風がカケルのボロボロになっていた身体を包むように発生した。
ぶわりとカケルを中心に巻き起こった紫電の風が洞窟内を駆け抜ける。その後にはライヴィズがつけた胸の傷もハナヤとの戦いで負った傷も、何一つ付いていない綺麗な身体が現れる。ボロボロになっていた服も瞬時にライヴィズの魔力により編み上げられた新しい漆黒の衣装へと変わっていた。
そして何よりも、その姿に驚愕したのはハナヤであった。

「なっ、貴様!なんだ、それは…!」

カケルの身の内にあった毒を全て吸い出し、己に移したライヴィズの濃い紫電の双眸が声を上げたハナヤへと向けられる。深みを増した紫電の瞳はその苛烈さを表すように鋭い光を放ち、ハナヤを射抜く。

「なんだとは、貴様こそ、誰を指してその言葉を口にしている?口の聞き方には気をつけろ」

ライヴィズは己の腕の中に抱いたままのカケルの髪をひと房、その手で掬い上げるとその漆黒に戻ってしまった美しい長髪に口付けて言う。

「あまつさえ、我が妃に触れ、傷をつけた罪。その身を何万回裂いたとて足りぬわ」

ぶわりとライヴィズの身から放たれた重苦しい殺気に空気が震える。リョウレイとニアス、シュイも冷や汗を浮かべ、ハナヤと交戦していたその場から飛び退った。
それだけでハナヤの周囲を取り巻いていた黒い靄の様なものが消滅していく。

「っ、やはり、魔王の妃も化け物だったか!嬲るのではなく、さっさと殺しておくべきだったか」

闇の様に黒い色、漆黒というのはライヴィズが元からそうであったように、この世界では魔王族といった魔王に連なるものしか持たぬ色だ。カケルの意識があれば、そんな馬鹿な話があるかと言ったかもしれないが、今は意識がない状態だ。そして、カケルの髪色については顔には出さなかったが、リョウレイやニアス、シュイも内心では酷く驚いていた。
リョウレイが最初に見た時のカケルの髪色は金髪であったし、ニアスとシュイもそのことは妃のお披露目の際に目にしている。魔王との誓いの儀で、カケルの髪色は金髪から銀髪へと変化したのであるが。カケルの持っていた本来の色がライヴィズと同じく漆黒の色であったなどと三人は知る由もなかった。

「リョウレイ」

「はっ!」

ハナヤを無視したライヴィズの呼びかけにリョウレイは瞬時に答える。

「お前はここでカケルを守れ。治癒の結界は絶対に絶やすな」

言いながら地面に展開した緻密な紋様、魔法陣の上にライヴィズは抱いていたカケルの身体をそっと壊れ物でも扱うかの様に丁寧に横たえる。深紅の槍を手に素早くカケルの側に、守りについたリョウレイはライヴィズから下された厳命に深々と頷き返した。

「この命に代えても」

「シュイ、貴様はこの場を守れ」

俺様が力を出してもこの洞窟が崩れぬように。最低限、カケルのいる場所だけは死守しろ。
ぞっとするほど熱く高められた魔力の波動がシュイの鼓膜を揺らす。

「はっ!ご存分に」

シュイはライヴィズの戦いの邪魔にならぬよう壁際まで下がると、カケルとリョウレイ、二人がいる場所を起点として防御魔法と強化魔法その二種類を重ねて発動する。防御魔法は戦いの余波が二人にいかぬ為に。強化魔法は洞窟内の強度を高める為に。

「ニアス。貴様は余計な邪魔が入らぬよう出入り口を塞いでおけ」

他にもこいつに加勢する者がいたら面倒だ。それに、目の前の男が逃げ出さないとも限らぬ。

「はっ!」

ニアスはライヴィズ達が入ってきた洞窟の出入り口に立ち、周囲を警戒し始める。

「さて…」

ライヴィズは細く息を吐くと口端から零れる血を右手の甲で拭い、憎悪のこもった冷え切った眼差しを向けてくるハナヤに向けて、その右手を右から左へと真横に振るう。ばちりと瞬きの間に練られた紫電の刃が糸の様に細く鋭く凝縮され、白き輝きを放ちながら空を裂き、ハナヤの首元へと迫った。

「身の程を弁えろ、亡霊が」

そうと感知する間もなく、防御も回避も出来ずにハナヤの首が白銀の刃によって無慈悲にも切り飛ばされる。

「…っ!」

ぼとりと地面に落ちて跳ね、てんてんと転がった頭には目もくれず、ライヴィズはだらりと両腕を下げて立ち尽くすハナヤの身体へ鋭い双眸を投げたまま続けて言った。

「その器はすでに死んでいるな。随分と穢れて濁った魔力だ。おぞましい」

貴様はハナヤの生き残りだと言ったが、中身はただの残りカスだ。さては、ハナヤ一族が根城としていた渓谷の吹き溜まりにでも溜まった穢れの類か。

「かはっ、…はーっ、はっ、は…、は…っ」

切り飛ばされた首の断面から黒い靄が吹き出し、地面に転がった頭がひとりでに浮き上がる。首から上のない身体が動き出し、分断された頭の方が喋りだす。

「そうさ、この身体は最期まで族長である俺の言葉を聞かず、反抗してきた馬鹿息子のもの!魔力だけは一族の中でも強かったからな、死した後にこうして俺が有効活用してやっているのさ」

「手にかけたの間違いではないのか」

黒い靄が蠢き、首の上に醜悪な表情を形作る。
その顔は年老いたハナヤ一族の族長の顔であった。

「そして俺は唯一サーシェに適合したのだ!不死身になった!もう誰にも俺は殺せない!たとえ、貴様であろうともだ、魔王!」

「ほぅ、面白い戯れ言を吐くな」

だったら、貴様が死ぬまで何百回、何万回でも殺してやる。

言葉と共に練り上げられた無数の鋭い魔力の刃が煩く囀ずるハナヤの身体と頭に向けて一斉に発射される。ハナヤの身体と頭は黒い靄ごとずたずたに切り裂かれたが、それでもハナヤは唇を歪め笑っていた。



[ 22 ]

[*prev] [next#]
[top]



- ナノ -